私の考える危機管理

危機管理3カ条
1.危機の存在を認識する事。
2.危機を自分の問題とする事。
3.問題に対応する事。

韓国岳で男子が死亡したのは親の責任である、という自己責任論をぶつのは不適当である、
そんな事を言われなくても親は当然、十分に自責の念に駆られているだろうし、
実際のところ子供を失うという形で代償を払っているのだから。

とは私の意見ではなく他人の意見なのだが、ちょっとナルホドと思ったものの、
それを呟くだけというのもただ親の責任を論じるのと同じくらい不毛じゃないのかね、とも思った。


ではという事で変わりに私に出来る事として危機管理について考えてみた。
1.危機の存在を認識する事というのは、「地震が来る」とか「山道は危険」とか言う事だけれども、
  もっと言うと、「崖から落ちるから」とか「落ちたら怪我をするから」とか、
  更には「怪我をしたら死ぬかも知れないから」とかいう事まで突き詰めなければならない。
  それと、「死んだら皆悲しむし、辛いから」と言う事も。


2.知識としては知っていたけれどもまさか自分の降りかかるとは思っていなかった、というのが2の注意点。
 「クラゲは痛いよ」→「知ってるけれどまだお盆前だし大丈夫でしょ!」→「ぐは!刺された!」
 という海でたまにやるアレとか、
 「二日酔いは辛いよ」→「知ってるけれどまだ大丈夫」→「やっぱり大丈夫じゃなかった」
 とかね。

 
3.問題を認識していても対応しなければ意味はないのである。
 2で「地震は来るだろう、ウチもガスも電気も水道も止まるだろう」と例え考えていたとしても、
 3の段階で「水を用意したりガスボンベ用意したり食糧用意したりするの面倒だし金かかる」とか考えたら?
 残念ながら明日にも地震は来るかもしれないのだ。来てしまったらアウトである。
 

ついでに言うと、自分の備えや耐性によって、危険の度合いは変わってくる。
私がスパーマンや鳥やアリンコなら、3mの崖から落ちても平気だろうし、
私の今住んでいる家ならば、震度6程度の地震は問題ではない(つもり)だ。
だから例えば巨漢のうちのPUさんが私よりも多く水を用意しなくてはならないのは当然だ。
危機は常に自分サイズで考えなければならない。


しかし考えると、実は今回の問題点は2や3の段階ではなく、1の段階の「知識不足」にあるように思う。
それは親かもしれないし、ひょっとしたら子供自身の問題かもしれない。
子供は好奇心に駆られて親の制止を聞かなかったかもしれないし、親は躾が足りなかったかもしれない。
(子供の知識量や危機回避能力についての責任は親にあるかもしれないが、今問題なのは責任の所在ではない。)


山育ちの人間が近くにいない場合、山についての認識がとても低いものになるのは当然だ。
だったらどうしたら良いかというと、残念ながら私が考えられるのは2つくらいしかない。
1.知識のある人間に教えを請い、監督・同行してもらう。
2.マニュアル本を読む。
結局出来る事はこのくらいじゃないだろうか。


言って判らない子供への対応法としては、これは本来盲導犬の訓練法だったと思うけれども
・車が危ない事を教える為にわざと、軽く車にぶつける。
等の、実際に危機を体験させてみる、という事が効果的かもしれない。
他に聞いた事があるのは一つ。(インディアンだっけ?)
・火の危険性を教える為に、わざとストーブに手をつけさせて軽い焼けどを負わせる。それによって子供でも近づかなくなる。


何でこんな事の必要性を考えたのかと言うと、
「山が危険だ」なんていうような普段身近に無いような危険というのは、実際になかなか体験できないので、
心の底から危険を実感できないのではないだろうか?と思うからですよ。
そして実感できない事への対応が甘くなるのは当然の事なのだ。
普段から野山を駆け回っているような野性児ならいざ知らず、今時の子供に自然の脅威を教えると言うのは大変な事のはずだ。


人間は小さな失敗を繰り返して経験値を重ね、智恵を付け成長していくものだと思う。
だから、もし全く失敗なしでいきなり大きな山に向かったのだとしたら、
小さい失敗で済んだ筈の事が、非常に大きな失敗として自分に跳ね返ってきてしまうのではないだろうか。
初めての失敗が、大事な命を落とすような大事故に繋がってしまうのではないだろうか。


だから私は思う。
子供には小さな失敗を教え、経験を積ませ、段階を追って順に成長させていくべきなのだろうと。
危機管理3カ条の表には出てこないが、子供を育てるには大切な事なんじゃないだろうか。
そしてこれは3カ条の1の部分に当たる、「問題の存在を認識する」に内包されている問題なのだが、
本当は、多くの人間にとって問題に気づかない言うのが、実は物凄く大きな問題なのだ。
そして私にとっては、「人の考えを変えるのは至難の業」という問題によって
1の問題を解決できないというジレンマが大きく圧し掛かるのである。

だから、ひょっとしたら数人でもこの文章を読んで、問題に立ち向かってくれれば幸いだ。



とりあえずデカク出た感じであるけれども、私は今自分の事でも手イッパイ。
今日も早く寝て早く起きようゼ、と言う事で、お休み。