なんとなく、日本人

なんとなく、日本人 小笠原 泰著

明日発送だから今日中に読まなきゃ!という昔買った本。

論理で感覚を否定する事は出来ない。
(略)
進歩的文化人が声高に唱導した日本人の後進的異質性の否定と、その裏返しとしての強烈な国際願望を刷り込まれながら、教育を受け、大学を卒業して社会人となった。
30歳を前にして米国の大学院に留学し、(略)10年を経て1995年、久しぶりに日本社会に復帰した折に、(略)感じたのは「やはり楽だな」であった。
無意識に、「なんとなく、日本人」でいられる相互強調的な性向(エートス)が日本にはある。


へぇへぇへぇ。
私は日本にいると息が詰りそうで息苦しくて特に実家にいると鬱の様である(大げさ)
だからって私が国際人なのかと言うとそういうつもりなく、私は人の期待とか
人の「あるべき姿」とか「女らしさ」とか「日本人らしさ」とかはたまた「人間らしさ」とか
そういう形に自分を当てはめるのも、他人から要求されるのも本当に大嫌いなんだ!


この本の「はじめに」の部分であるが、それを読むだけで「なんか全然違う感覚」を感じる。

「自分は他と異なる何であるかを主張し続ける、相互独立的な西欧的性向(エートス)」

ってものに作者はちょっと疲れちゃったらしいが、私はやっぱりまだそっちの方がイイ。

グローバルパラドックス:グローバリゼーションは、ローカルなコミュニティの主張とその維持(自立分散化)を可能とし、多様性を容認する(アンソニー・ギデンス)

・日本語は世界屈指の文脈依存言語だ
・「欧米における一人称の内容は、あくまでも『individual』であるが、日本ではそうではない。」木村敏
・波平恵美子「死りゃの霊は、人が死ねば自然に生じるのではない。」
・「中国は意思の文化であり、日本は感情の文化」
ラフカディオ・ハーンは、学生が「先祖に敬意を払う」を直訳しようとしたところ、「先祖の記憶に敬意を払う」と訂正。
・中国は厳格な父系社会で、供養できるのは直径の男子のみ。
・死者は死後も生きる。悪い奴は悪い奴のまま。成仏はしない。腹も減る。金も要る。
・日本人は何とでも意思疎通をする。ペットでもエンジンでも食材でも。(感情移入)
・「死というモノ」と「死ぬというコト」は違う(客観化)
・日本人の自己が相対的に決定されるという事は、自己と他者との間に固有の共通文脈が設定されることになる。(阿吽の呼吸)(以心伝心)
・仏教:覚者=真理に目覚めたもの。真理=縁記の理=「全てのものが関係し合ってお互いの存在を支えている」

  • 目的達成の為の手段であるはずの役割の遂行が、容易に「目的」化する傾向。
  • 「役割同一性(客体的=静的自我)」と「自我同一性(主体的=動的自我)」

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■本に関係あるようなないような事
ところで最近私は気づいたのだが、私と言う人間は家の中で一人じっとして
紙に向かってガリガリ絵を描いて、植物の葉脈を眺めたりしているだけで満足であって、
仕事をしたいとか社会に貢献したいとか成功したいとか、
そういう事とは本質的に違うようだ。
勿論誰かが絵を褒めてくれれば嬉しいだろうけれど、私が求めているのは人の快ではなく
結局私の中にいる私の為の快であり、「私がこうしたい」という事だけが重要なのだ。
人は共感を得たいと思うだろうし、確かに私も共感を得られれば嬉しいのだが、
私の場合、例え誰からも共感を得られなかったとしても絶対に変わらないのだ。
それは誰にだってあるのかもしれないし、見えているかもしれないし、当たり前かもしれない。
しかし私はそれを常に意識しなければならないほど、剥き出しプリンなゆで卵みたいで
いつだって茹でたてホヤホヤ、私の中から熱々に主張してくるのだ。