「なんとなく、日本人」的考察

私はどこからどう見てもすっきりとした超日本顔の、生まれも育ちも日本人なのだが、
日本で生活していると息苦しく感じる事が昔は良くあった。
今はそんな事は殆どない。簡単に言ってしまうと主婦生活のおかげだ。
主婦は社会人ではないのだ。

息苦しさがどこから来るのかと言うと、今時の言い方で言うと私自身の「KY」であるとこによる。
昔感じていた言い方で言えば「らしさ」だ。
「女らしさ」「子供らしさ」「大人らしさ」そして最も難儀なのが「日本人らしさ」だ。
「らしさ」と「KY」は自分から発せられるものではない。相手が私に求め、定義するものだ。


私も生まれも育ちも親も日本なのだから、日本人らしい時があった筈なのだが、時と共に世間とズレが生じてしまった。
大きなパラダイムシフトが起こったのは、一回目は幼稚園の時。二回目は中学生の時。
私は覚えている。3歳の頃、人の顔色を窺う子供であった事を。
そして幼稚園の入園の試験の時に言われたのだ。「大人の顔色を窺う子供だ」と。
そこで一回目のパラダイムシフトが起こった。理由は残念ながら覚えていない。見透かされたのが悔しかったからかもしれない。
見透かされるならば意味が無いと考えたからかもしれない。


2回目のパラダイムシフトは唐突だ。「ちゃんとしなくてもイイや」と思ってしまったのだ。
「ちゃんとする」のは「大人らしく」とか「社会人らしく」とか「学生らしく」の前に「日本人らしく」において必要な事だ。
何故だか忘れてしまったが私は「ちゃんと」しなくても「何とかなる」と言う事に気づいてしまった。
別に非行に走ってやろうとか思った訳ではない。


小さな方向修正は色々あったと思う。
例えば中国留学とか。
しかし専門学校をやめて(それも公務員の。)いきなりどこかに留学したいとか言いだす辺り、既に日本人として方向性がおかしい。
中国に行った事で、日本と言うモノを問い直す事になった。
しかし日本人にとって日本とは問い直すものではない。
問い直した時点ですでにもう「なんとなく、日本人」ではいられないのだ。
多分私はその時点で完璧に、後戻りができないくらいに変人だった。
手軽に言うと、KYだった。




え〜と、書いているうちに着地点がどこだったか忘れてしまった。



「なんとなく、日本人」を読んで実際にそれがどう役に立つかとういうと
やはり日本人という集団をどう導くか、もしくは経営者が社員をどうコントロールするかという点にあると思う。
勿論細かい手法などは書かれていないのだが、芯になるもの、日本人が求める物を知っておく事は重要だ。
言ってみればこれは経営哲学の根っこの部分に関わる問題なのだ。


文化的側面から言えば、日本は変わり続ける事、外来からの情報や文化を取り入れ続け、それを再構築して日本化し続ける事によって、
ごった煮で何でもアリでなぁなぁでご都合主義的な、日本の柔軟な日本らしさを保つ事が出来る。
反対に京都を京都らしく保とうとする事は、もう文化としては死んでいて、それは決して日本らしさの根本を衝いてはいないだろう。


主婦の思考ゲームとして考えてみた場合は、
ん?じゃぁなんで日本人は不確実性が嫌いで、平等主義で、精密化や探求が好きで、オタクで、社会主義的なの?って感じだろうか。
平等でなければならず、不確実性が嫌いなのは、農村文化だから?農民の子孫だから?
っていうか「農村文化だから」ってそれだけで片付けちゃってOKな訳?それじゃぁツマランだろう。私は本を見落としたのか?
今はそうだったとして、農民の子孫である事よりも、都会っ子である方が長く続いたら?人はいつ変わるの?
何で未だに、それどころか昔より、KYという単語が生まれるくらいに場を保つ必要があるの?
個性尊重っていう教育は全く意味が無いの?彼らは何がそんなに不安なの?


民族的な志向と言うモノは、中にいる本人達には意識される事が無い為に継続・強化されていくのだろうか?
本書の主眼は「意識した上で国際社会で生き残るために長所を生かし、渡り合う術を見つけよ」という事があると思う。
ま〜しかし本来意識していないようなものを、国民の総意として意識…もといトップだけでも意識するようになるのは大変な事よね。
言ってみれば私がKYだからそこに反応するのであって、そうでなければ空気などないも同然、無意識なのだから。


だとすれば日本人の志向の根幹部分を変更する事は困難であると認めているように、
国際社会の舞台に立つ時だけでも主軸を「場の空気に合わせる」じゃなくて「自己を主張する」とか「ポリシーを貫く」とか
「役割である前に一個人」であるとか言うように行動しろと言うのは、同じように困難なのではないのか?
まぁそりゃぁ大企業のトップともなれば頭も良いんだしできそうだろ、とか言えなくもないけど、
実際のところ大企業のトップになろうと思ったら超空気読める、超日本的な日本人だったりするんじゃないのかい。ソウデモナイ?ワカラン。


この本は非常に面白くて興味のある皆にもお勧めしたいのだけれども、
一つ問題が残った。
「では日本人は何故日本人なのか。」
そして、「それは変わるもののか?いつ?どうやって?」