肩の力を抜いたら凝る話。
デビュー13年間いまだに売れない漫画家・ピョコタン先生インタビュー
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この漫画家のページ
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この人の漫画も見れる。シュール。
物凄い発想力だなぁ・・・笑
ないわ〜こういう発想力はないわ〜〜w
「王様になりたい」って言ってるけれどこれは
「王様物語」というゲームのPRの為に「王様」に就任するというアルバイト募集があったから。
らしい。
自身のブログではもっとやる気あるよ!って必死に弁解してた(ToT)/~~~
この人、物凄く極端に書かれているけれども
そのレベル、程度の差こそあれ、
大抵の人は「このくらいの生活で自分は満足だ」って思う時が来る筈よね。
本気でヒルトンみたいにがむしゃらに働いて、ヒルトンを超えるホテルオーナーになる!
・・・なんてホテルで働く全員が思ってるわけではない筈です。
足るを知る(吾唯足知)なんて言葉が流行ったりするくらいですし。
諦めたのか足るを知ったのか、微妙な所ではありますな。
そこはあんまり追求すると人生が辛くなるので、
足るを知る、と言っているのかもしれないけれど、
そこもそいういう風に言うと辛いので、目をつぶって足るを知るつもりでいる方が
やっぱり幸せなのかもしれません。
最近つまりはどこを我慢するか、という事を考えるんですよ。
デブになるのを我慢して、美味しいものを食べるか、
美味しいものを食べるのを我慢して、痩せるか。
肉体(脳含む)や時間の回転効率をUPして疲れるのを我慢して、お金を得るか
お金を得るのを我慢して、のんびり暮らすか。
デブになるのは美味しいものじゃなくてもなれてしまうのが厄介です。
でもデブになるなら美味しいものでなければイヤ!
そこは私の拘り。というか拘りたい。
お金と効率の問題は、自分の能力の限界もあるので、
ソコソコ、まぁそんな感じですよ。
上を見過ぎるな、というのは出来ない人にかける言葉であって、
上を見て、そこに到達して、なおかつそれで幸せ、
無理でもないし、体も壊してないし、家族もいるし、自分も楽しい。
そんな人だっている訳ですヨ。
それを考えると、
足るを知れっていうのは、自分を知れって事なのかもなぁ。
だから足るを知るという時に辛いと感じてしまうかどうかは、
「こういう自分でもOK」と、ありのままの自分をOKと言えるかどうかなのかもしれないネ。
そこがOKなら、目を瞑って辛くないふり、なんてする必要もない訳。
↑結構むずいんじゃない?
昔、自分OK、かつ他人もOKというのがヨシ、と何かの心理学の本で読んだよ。
今の自分は、中学生の頃よりマシな筈だよな、と思う。